与太話はこの辺にして推しに幸あれ

キャスト変更が嫌というわけではないが……

が……以降が未練。

なんていえば良いのか。

 

キャス変のはなし。

芝居って、再演があっても同じキャストで再演されるとは限らないじゃないですか。当て書きならば、同じキャストでの再演率も高そうですが、ふつーに考えて当て書きの芝居って少ないし。

 

再演が見込まれる芝居ほど、キャス変の可能性を頭の片隅に置いておかなくちゃって思っている。定期的に公演のあるビッグタイトルなら特にそうかも。レミゼとかサイゴンとかでも、わりと思うことあります……〇〇年のキャストが良かったとか、この役は〇〇年に演じた〇さんが良い、とか。あと、2.5次元界隈だとキャス変はもっと深刻かな。なにせ、立ちはだかる2次元キャラクターへの高い理想ってのがあるから。

 

ひとくくりにキャス変と言っても、端的に作品のイメージ一新のためのキャス変もあれば、別の原因でキャスト変更っていう可能性もなきにしもあらず。役者に何事かがあって、とか、そんなん震える……。

 

一つの作品のなかでの条件みたいなもの。

 

・作品のなかの「役」はあくまでも「役」で、役者イコールではない(ちなみにキャラ同一視オタク地雷です。その思考ごと消えてほしい)

 

・役は板の上のモノガタリなので、物語上のキャラクターには、役者が違っていようとも、再演されればあうことができる。

 

・また、役者には別な芝居やイベントで生きている限りはあえるはず(あえるという表現だけど実際は観る)

 

観ているものが芝居である以上、モノガタリの登場人物たる役には確かにあえるけれど、このモノガタリのなか、特定の役を演じている特定の役者にであう状況はそう簡単にはつくられない。

常に刹那的で。

一期一会なんだって考えなくてはならない。そもそも毎日公演があっても同じ演技は一日たりとてないので、ほんと一期一会。出来れば毎日推しみたい。

 

常に続くものはないってこと、理解している。

 

……からのでもでもだって。

 

(この作品のこの役はこの役者さんでないと…!)とか(この人のこの役にまた観たいどうしても逢いたい…)という思い入れのせいで、どーしても、キャス変に対して複雑な気持ちになってしまう。

 

心に生まれたジレンマは、ひとつ前の公演のキャスティングと上手にお別れできてない問題……。

 

わたしは今から怖いです。

ちょうど終わったばかりの推しの演じた役に次がないかもって思ってるので。

あわよくば、また推しの演じるあの役におあいしたいのですが、さすがにおあいできなさそう……。

なので、再演こわい(実際は何回も公演してるから再演どころの話ではないんですけど)

 

正直、去年も情報解禁までむちゃくちゃ再演を望みながらも、再演のお知らせがとてもこわかったです。

そして、今、ますますこわい。

大変みっともないことこの上ないけど、これ書きます。書いときます。これまでのパターンで考えると今回で最後だったって思う。主演以外の子が2回以上同じ役で出てる実績がないので、もう生ではあの姿が観られない。

あれ、なんか物凄くキた。

すごいおちこむやつだ。

悲しさがすごい、無理……泣くやつだこれ。

わたしがすごーーーーーく好きな作品の、すごーーーーーく好きな役を、すごーーーーーーーーーくすごーーーーーーーく∞大好きな推しが、もう二度とその役は演じてくれなくなるんだって現実……。

過去に演じた事実は消えないけど、もう観られないと思うと猛烈にしょんぼりしてくる。

は〜〜〜、こわい。つらい。

キャス変がこわい。

と同時に、こだわりゆえに、その作品ごと楽しめなくなったら、どーしよーって気持ちもありつつ……(いや?大丈夫、わたしダブルキャストの子の演技も美味しくいただいてるから、例え次のキャスティングで推しがいなくても、無念なり!推しがいない!って、焦燥感を抱いたまま通うだけだし、円盤毎日泣きながら観るね……ありがとう、ありがとう、推しの演じてるとこの入った円盤を出すって決めてくれて……)

 

まあ、演じなくて当たり前くらいに思っときゃいいんですけど、でもなんかいろいろ思うことがありすぎた。

 

いまだ起きてないことを怖がるのは愚かだなーって思うけど、キャス変あると、もうおあいできない推しのあの姿がいっそのこと惜しすぎるし、ますます愛しいし、あー、もっともっと推しがみたかった……って……、私事が入り込みすぎました。

 

キャス変したっていいんです。

制作会社のキャスティングに罪はないし、ましてや新キャストが、どのような味付けで役を料理して演じようと構わない。実際、今板の上でキャス変された誰かが作品上の登場人物を演じているんだから問題ないはずなんです。

 

これは、あくまでも受け手の心の問題で。観る側のこだわりや嗜好にかかわる事柄に過ぎないんだよね。

 

わかってます。

 

それこそ情報解禁の段階からキャス変が無理です!受け入れがたし!って思うことができたなら、ある意味でしめたものです。八つ当たり的恨みつらみも含めつつ、残念だが観ないという選択肢を取れるのだから。前のほうがわたしは良かったってブツブツ言いつつね。

 

でも、観るまで気づいてなかった時ってすごいショックかも。

 

あ、わたし、あの人の演じるこの役がすごく好きだったんだ……。

 

みたいな。

 

今、新キャストが演じているその役を観て、あらためて実感したら衝撃が大きすぎる(ちなみにわりとありがち)

 

どんなに目の前の役者がいい演技をしていても、あたまの片隅に、心のあちこちで、わたしが(この人)と決めた役者が演じている絵があるし、ひどいと声も聞こえてくる。

あのひとはこうだった。

その場面はそうだった……って思い浮かべる。

比べているつもりはないけれど、そんなふうに考えてしまう。そうなると、なんだかすっきりしないし、居た堪れなさもすごい。

多ステできるなら、新しいキャストの演技を何度も目にするので、今年のこのキャラはこうだよって、記憶を上書きできるかもしれないけれど、一度しか観ることが出来なければ、受け入れがたい…って最悪の認識をしてしまうかも。

 

前のほうがよかったな……

 

なんて思って。

それはそれでなんだか悲しい。

 

話が少しズレますが、ひとって自分の決めたひとつの基準をもとに、どっちが良かったとか、こっちのほうが好きとか、自然と悪びれずに比較する生き物だと思います。

比較は悪くない。

比べることでわかる良さもあるし。

でも、一方を持ち上げるために、一方を下げるみたいな比較の仕方はあんまりだなーと思うことが多く。

キャス変に伴う比較でもこれを感じることは多い。単純にわたしにとってのベストはこの人だった……ってだけのはなしなので、ポジティブに言うなら、多くを語る必要はなく、今回〇〇を演じた〇さんも良かったね!からの、前回のキャスティングが個人的には最高だけどね〜!くらいの感想で終えとけばいいのかなーとか、最近は考えている。あ、むしろ後半の自分の最高キャスティングのはなしは心にしまっておいてもいいかも。

 

比較という意味では、ダブル・トリプルキャストでの公演なら、これは当たり前にありうるもので、みんな違ってみんないいと思っていたとしても、人それぞれ好みはあるし、このキャスティングが最高とか、この役にはこの人がという理想があるので、キャス変じゃないけど、まあ、悩ましい。

 

長々書いたけど、ね、誰か。

マイベストキャスティングから上手にお別れする方法を知っているひとがいたら是非教えて欲しい。