与太話はこの辺にして推しに幸あれ

聴こえを疑う(音のはなし)

わたしはわたしの耳を、聴こえを信じてない。

 

結論から言いました。

聞こえのはなし。

なんのことよって、お耳。

おみみです。

聴こえ方はヘッドフォンとか録音物の音源でなく、基本は舞台での音を指す。

音の聞こえ方に対して思うことって、先に書いた文言に気持ちを集約できる。

 

わたしも良い耳してたら良かったんだけど、良くても普通ってとこ。残念ながら苦手な音域や、聞き取りにく声質を自覚してるから、わたしは私の聞こえ方を信じてないんだよってはなし。きっとね、こんなはなし、ピンとこない人いっっっぱいいるし、まっっったく楽しくもないはなし。

 

芝居を観る上で、役者が舞台に立って演じてるい見た目も大事だけど、聞こえてくる音も重要でしょ。役者の声しかり、オーケストラしかり、歌や台詞、耳で聞き取れる音のすべて。

 

それらは役者によりさまざまで、役作りの上で変わるものだってあるし、わたしの聞こえが良くないことを差し引いても人それぞれだよね。

どんなふうに聞こえてるかなんて、本人にしかわからない。

楽器の音も環境に左右されるし、その音は本当に譜面どおりの音なのかだってふつーのひとが判断できるかなんて微妙なところ。

それと、聞こえは座席にも左右される。

ミュージカルやオペラ、オケコンも良い音で聴きたいから座席とっても気になるよね。

 

役者の歌、いつだってパーフェクトってことあるのかな。役者によっては常にパーフェクトな方もいるかもしれないけれど、調子に左右されることもありそうだよね。それは通ってればわかる感じだけど。その実、多く役者の方々にも曲の得手不得手だってあるだろうし、正直、稽古では仕上がらずに、公演を重ねるうち熟練度が上がってしっかり仕上がるなんてこともあるかもしれない。

また、根本的に声質の特徴により、通りやすいとか通りにくいとか、どうも滑舌が良くない……むしろ悪いほうだとか、人により、問題となる部分があるかもしれない。

 

演じる側はプロフェッショナル。歌も台詞まわしも動きも一定レベル以上、上手くて当たり前だと思っている。そうでないと安くはないチケット代を払った甲斐がない。

披露されるものはプロフェッショナルの技だ。その一方で、プロの演技を観る側といえば大多数はプロではない。プロの演技を楽しむのは一般大衆であり、評価するのも一般的な観客だ。その一般大衆たる一般的なひとたちの求めるレベルは限りなく高い。

勿論、観劇のプロみたいなひともごく限られてはいるものの一定数いるはずで、その方々は多くの知識を持ち、さまざまなものを観ているのだと思う。演目を絞って一点集中の人もいるとは思うけど、観劇慣れした視点のひろい人々はおおむね経験値も高く、ふくよかな視点をもつ人たちが多い(そうでないひともいるけど)その分、発言される感想は評論めいてしまうと思うけれど、評論家にもなりうる人たちだと思うので、まあ、そこはそんなものだよね……と思うから、このはなしの対象にはならないかな。

 

わたしはごく一般的な観客だ。

 

熱い感想は言えても評論批評は出来ないし、考察しても素人の妄想、せいぜい萌え散らかしておわる程度。そう、わたしはまさにただの観客なのだ。一般どころか、下下の下じゃないの?と、自分では思うところのあるおたくです。

んで、また最初にかいたことに戻るよ。

その専門家ではない一般大衆に聴こえる音はどの程度なのか。そもそも耳の良し悪しで聴こえ方か絶対違うんだよ。

だから、ただの観客たるわたしが平均的聴力と感覚を持っていたとしても、ダイレクトに享受できる音の何割かは聴こえていなかったり、聴き取れなかったりしていると思っている。

だからこそ、わたしは、わたしの耳をまったく信じていない……、むちゃくちゃ信じないぞー!!!って思っている。

 

わたしはわたしの耳で聴こえた音を、わたしの耳を疑いながら観劇をするようにしている。これは、わたしだけのポリシーみたいなものだ。

 

話が前後してしまうが、音感と感覚に絶対的自信があるひとならば、その音の良し悪しも即座に判断できるのかもしれないけれど、わたしはそれができない。だから何度も繰り返しになるが、わたしはわたし自身の耳を、わたしの自身の聴こえをひどく疑っているわけ。

常に、今の音ってE♭だった?みたいな、疑問を抱えている。

 

音の聴こえは人それぞれで

感じるのが得意な音

好きな響き

苦手な音域や嫌いな響き

……と、いろいろある

(ちなみにこの疑いの対象は視覚的にも汎用がきく気がする。目の問題ね。見え方、目に映るもの、色の感じ方、ピックアップしようとする対象など、それぞれに対して一律ではないので)

 

話を戻す。

どんなに素晴らしい歌でも、どれほど、はっきり明瞭な発音で発せられる台詞でも、受け取る側には聴き取れなかったり感じ取れなかったりする音があるってことよ。

その日の体調により、とてもくぐもった音に聴こえていたり、音が歪んで聞こえたりもする。ひどい時は、どう考えてもこれ本当は半音下じゃない?!みたいな音に聞こえてきちゃう時とかもある。

当人が意識していようとしていまいと起きている事態……悩ましくない?

「私は時々調子が悪いと聴こえ方が微妙だ」って、当人が気づいていればいいけれど、もしも気づいてなかったら、あの役者さんの歌なんか上手くないし、なんか変……って思うかもしれないんだよ?あの人の台詞なんかもごもごしてて聞き取れないな……とか、思ったりしちゃうんだよ。なにそれこわい!こわすぎる!

 

人は年齢とともに少しずつ少しずつ身体的に衰えていく。耳も同じ。

ちなみにわたし自身は前述の通り、調子が悪いと聴こえが悪いこともある。

低い音の聴き取りや、台詞回しにより認識するのが苦手な言葉も出てくる。まあ、それはしょうがなくて、わたし音感性難聴っぽいとこあるし、耳鳴りもひどいって自覚してるから、自覚してるだけマシ。わたしの聴こえが悪いせいなのに、気づかずにひどい役者とか思わずに済む。そんな個人的事情ね。

 

そう、

 

わたしはわたしの聴こえを信じてないんだ……(大事なことなので……しつこいけど言うね!)

 

そんなわけで、よほどのことがない限りは、観たものに対し多少の違和感ををおぼえても、いや待てよ……て立ち止まる。……やっぱおかしくない???ってなっても、いやいや……落ち着いて思い出してみよ?って考えたり記録を辿ったりして自己補正していく。本当にこの公演のあの役者の歌は、音楽は、セリフは、本当酷かったかな……って、考えて吟味することを癖付している。

安くないお金を支払って観てる舞台、舞台そのものと、演じる役者を見下すような気持ちではいたくないからね。

そんなん勿体ない。

なので、SNSなどで(あの役者さんなんだか歌が微妙だった)とか、安易には言いたくないとも思っている。偉そうなこと言いたくないって気持ちもありつつ、ね。

わたし、ただのおたくだし。

これは個人の観劇スタイルだから、それをみんなもそういう意識でいようね!なんてことは言わない。

わたしは、どんなに目が肥えたんだと自負したとしても、わたしはわたしを信じないことにしようってだけのこと。

これは、聴こえだけじゃなく、見えるもの聞こえるものがすべてではないという視点を持ちたいよってはなし。

 

なので、

芝居を観る上で心掛けていることは、

観る視点こそ常に謙虚であれ、というやつ……。 

フラットでいたい。

 

まあ、そんなとこ。

あと、先だって言及?というか。

情報を疑う姿勢について書いていた部分を、とあるブログさんに引用していただきました。

わたしが立てた記事のキーワードはいくつかあるけど、そのひとつ(疑うということ)を引用していただいた。

なので、それにちなんで今日は疑う視点について思うことを書いた。

 

つまり、わたしはわたしを信じてないし、推しのことも信じてない……と。

 

って、いやいや、そうじゃないよ。

そうじゃないでしょ?

信じてないは全力で信じてるの裏返しなんだ。

わたしの(ものさし)はわたしだけのものってことで、きょうもおわり。

 

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この度は引用してくださりありがとうございました。また、眺めてくださる方もおられるのかしは……、少しは気持ちを傾けて見てくださる方もおられるのかしら的な、大それたことを思ってしまうけど、さすが碌でもないことしか書いてないので、別のなにか?とはいえ、まずは感謝いたします。ありがとうございました。