与太話はこの辺にして推しに幸あれ

観劇という孤独な愉しみ

先週、推しの芝居を札幌で観た。

札幌寒かったです。雪だった!雪きれいだった。青い木立のなかを降ってくる正六角形の雪の結晶……のようなものか見えたらいいのになっていう素敵な白い景色でした。

とりあえずラーメン食べてきた。ラーメン美味しかった!

それだけで観光した感じする。

 

もうね、現実逃避が現実なんだよ。
仕事じゃなくて観劇がわたしの世界の中心になってて、この生き方自体もはや草が生えそう。是正の必要あるんじゃない?とか、終活を頭のかたすみにチラチラさせつつ、今日も来年のチケットをどうしようか考えている。ダメだなーと思う。立ちどまるのが大事なのもわかる。でもさ、いつ自分の人生が終わるともしれない。人生終わらないとしても役者じゃなくなっちゃったら?とか。推しの人生だってこの先のことは当人ですらわからない。
でもね、みたいな。
推しがこの世からいなくなるのはやだなー。
縁起でもないから言うもんでもないけど言うね?!わたしが生きているあいだはわたしの心のなかで生きるだろうけれど、二度と観られないんでしょう?やだつらすぎる……。推しがいなくなってしまったら、心に空いた穴が埋まらないまま過去に縋って心が死ぬかもね。そんな感じのひとたくさん出るんだろうな。いなくなったらたくさん悲しむひとがいるよ。推しには心から長生きしてほしい。長生きした上で末永く舞台に立ってほしい。わたしは板の上で演じるあなたが好きだ。

 

いつまでもいると思うな親と推し

 

ですよ。

これ正しい言葉だよね。

ほんそれ。

 

ひとつひとつ大事に。

本当にね、楽しみは楽しいままにね。
わたしがいなくなっても誰一人悲しまない。
わたしがいなくなったとしても推しはいたことすら知りもしないだろう。
でもそんなの関係ねーのです。
どんなに好きでもファンってそんなものでしょ。
って、あらためて思うと推しを好きでいること、一方的に愛することはとても気軽なものになる気がする……。
せめて好きでいた記録をしよう、そんな意図になりつつあるのかな、これ。
いや違うな、そんなポエミーな理由じゃなし、これ、ほんと言いたいこと言ってるだけだった。書いたら書きっぱなし!

 

さて、現在地方ツアー中の推しです。

どの公演でも東京も地方公演ももれなく全通とかいう強火の方もたくさんいますが、わたしは末永く観劇を楽しむためにも仕事を疎かにはできないので、地方は行ける範囲でのお出かけです。

プレビュー公演も札幌公演もね、いろんな意味でスペシャルだった。
わたしにとっても多分簡単には忘れがたい、とっても素敵な思い出になった。

地方出身の推しが推しの地元で舞台の真ん中に立つ公演って、普通に考えてもすごいことだ。推しは10年ぶりくらいで地元の板の上、馴染みのある土地で演じるわけで、感無量だったかな、緊張したかも、とか、いろいろ考えるけど、どうだったんだろう?同じ熱量で…と、言っているけれど。ちょっとした家族公演ってもそーちゃん言ってたけど、すごく感慨深いよね。

そしておたくは思います、またこういう機会がありますように。

っていうかさ?

プレビューも札幌も公演をわたしが振り返りたいから、その映像が欲しすぎる、やはり円盤は全公演収録が望ましい(強欲)

 

肝心の公演ですが、プレビュー公演が終わり札幌での本公演に入ったところで少し雰囲気が変わってきた気がする。そう思いつつも札幌は推しの地元なので、ご家族やご縁のある方も多く来ていらしたみたい。そのためか会場自体の雰囲気も少し独特だったようにも思う。

ちょっとだけ面はゆい雰囲気です。

で、それとは別の変わったという明確な印象。
さすがに舞台は生き物です。
変わる、というのが明確にわかりました。2公演のプレビューから数日でもこんなに違うと目を見張りました。おや?って本当に思うの、気づきがあるというのかな。
もしかしたら、それは客席側(…というより見ているわたし自身)の意識なのかな?とも思うのですが、毎回、板の上の役者さんたちは全力で、一度として同じものがないと感じていて観劇に伴う充足感はとても高いです。毎回発見があるのでとてもとても楽しい観劇ができています。定点しても楽し、全体を見渡しても楽し、です。

観劇はわりと孤独な作業だ。

ひろがらない世界での観劇。

観ているあいだは作業的ではないけれど、観たあとからあたまのなかが忙しい。

見終えて始める感想と考察、思考することはわたし一人の世界だ。

それがね、今見ている物語の主人公タカシくん※の、美しい数字の広がる頭のなか、誰と出合わない風景に似たもののように思うことが増えた。人ってあたまのなか考えるときはひとりだし(いや、わたしA、わたしB、わたしCなどによる対話はあります)誰しもそういうものだとも思うと、その孤独から脱却するために人と人のつながりはあるのかなーとかも思う。※話のなかの登場人物、タカシくんは自閉スペクトラム症サヴァン症候群、数学がとても出来て文字や音に色がついて見える共感覚の子です。

さりとて、今日も孤独の観劇(エンドレス)

わたしは生涯、観劇の喜びを誰かと分かち合うことを知らないままになるのかもしれないなんて思ってみたり思わなかったり……なんていってね?話が取っ散らかったままなので、それはそれとしてぶった切ることにしよう。

わかったこれは孤独のグルメである。
観劇はグルメだ!むちゃくちゃ極論!笑


んで、複数回観ていると観劇に対する視点が麻痺してくることもあるけれど、一公演一公演、この時間は今しかないと思うととても愛しい時間なので無駄にはできないと感じています。前述の「いつまでもいると思うな親と推し」にもつながるのですが。

 

今週も来週も観るの楽しみです。
これ、あっという間に東京公演来ちゃうんだろうな。

おもしろうてやがてかなしき、この祭りのあと感。

終わってないのに祭りのあと感。
なんか変なの。
胸に沸き起こる感傷の正体はなんだろうか。

不定愁訴

…に、よる弊害。
よし、わかったそれだ(笑)
まあ、生きてるうちは楽しんでいたいし、愉しんでいたいものだ。

 

 

Coloring Musical 『Indigo Tomato』

良かったら観てね。