与太話はこの辺にして推しに幸あれ

物は言いようである

雑記だよ。
ここに書いてることは全部が雑談だけどさ。もうね、考え方が思春期のおこちゃまか!って書きながら思っちゃったけど、まあいいや、流しとく。

オタクを一括りにして語るのはどうだかな〜〜〜?!とは思うんだけど、なんらかの趣味やライフワークにハマっているひとたちって、対象に全力で愛を注ごうとしちゃう傾向があるじゃないですか。趣味を趣味とは言わせない、これは生きる糧であると言わんばかりの姿勢で取り組むのね。

場合により盲目的、献身的みたいな。

お金の使い方は個々のスタンスで違うだろうけど。

そのオタク的、マニア的な思考回路のせいか、四六時中はまってるもの好きなことを考えちゃう。わたしは基本的にだいたい推しのことを考えてるか、これから観る芝居、これまで観た芝居のこと考えている。
まあ、そういうこと。

これね、強烈な現実逃避だよね。

もはや、それに心を支配されてるのかな?!…って思うほどに考えてるときだってある。妄想の域を脱してはいないけれど、ずっとずっと考えているんだよ。

だって人間だもの、いつだって素敵な所、快適な場所で、夢のような時間を過ごしてたい。その流れのなかにずっと身をおいておきたい。
すごく手放しがたいな、素敵な時間だなと思えるところにとどまっていたいじゃない?

これ、

要するに我慢できないおたくの典型の考え方かな。

で、

それをね、打破したいと思わないでもないよなーってはなし。

抑え目に気持ち5割6割くらいの勢いで対象に当たって砕けてはどうかみたいなの。

4割ほどの余力を残して当たればわりとまともでいられそうかなって。常に自分の気持ちも財布の中身も全力投球で消費したら疲れるじゃない?

疲労困憊だよ。

結果無理がたたって崩壊しそう。特にお金方面はね、無理しちゃダメよって思う。気持ちにも少しは余裕ないと笑顔ではいられないというか。

それとね、あんまり駆け抜けちゃうと、急にすべてがどうでもよくなる瞬間があって、いわゆる燃え尽きなんとかですかね。そういうことないですか?

わたしはよく燃え尽きてるよ。

浮き沈み激しいな。

すごく頑張ってる人と比べたら、たいして頑張ってないのに、わたしおかしいぞと思うけど。

目の前に出された現実と、ある種の夢に当たる現場の差が大きければ大きいほどに躁鬱激しい(それはそう)

 

……まで書いて、前も同じようなこと書いたな?!って思う。


延々考える陰キャなのでループする思考に苛まれる。
あと、さすがおばーちゃんなので、すぐに忘れるので繰り返しが大好きなんだね!

この好きなものに対して、5割の満足でも良いと思えるようになる…というのは実際のところ至難の業かもしれない。でもね、自分が引いた線引きのギリギリのラインまで楽しまないとダメみたいな考えは非常に危ないと思うし、5割でもいいんじゃない?と思えることは、自分を中心に世界を構成するという意味では「気持ちの余裕」に繋がるのではないかと思える。

半分いい感じなら正解、みたいなの。

100%120%を求めないってこと。

それが、とめどない感情へのストッパーであり、マイナス面としてみると保身的姿勢の表れなんだよね。ちょっと冷静ぶって言えば、好きなことに対して無理するっておかしいじゃん?(そりゃ好きだから無理するみたいなのもあるけどね、本来無理しないほうが自然体で愛せるのだ)

あと思うのは、あまのじゃく的な考え?

わたしはそこまで夢中じゃないと思いたいからそう考えようとする、みたいなの。自分の心をだましておかないと冷静でいられません!笑

それでも楽しいことがいっぱいほしくて多少は無理をしてしまう。

何故かというと、無理したところから滲み出る幸せを知ってるから。

知ってしまっているから、だよね。

好きなヒトやモノやコトに対峙したときに出ちゃう脳内麻薬がすごい、みたいなの。

知ってしまうと我慢できなくなっちゃうとこあるじゃない?

これ怖い。


まあ、多少は欲張ってみるよね。
多少は、だよ。いや、少しは、かな。
そもそも強欲なんで(前までの話はなんだったのか……)

しかし、こういう喜びや幸せがあることを知らなければよかったんだろうか?とは、思いたくはないが。変な風にこじれた感情で心のなかに矛盾がたくさん生まれて苦しみたくないじゃない?なので手短な幸せも欲しいわけ。

これも保身かな~?!

これくらいで大満足という心理になりたい。
反省とか後悔とかしないで。

 

なんて考えるのは、ある意味で思考の訓練だしボケ防止だよ。

 

わたしは極端に言うと、愉快に楽しく推しのいる生活のなかでフラットな状態で暮らしたいんだわ。推しがいて幸せ~感謝感激~を常に実感して暮らしたい。いやこれはこれでちょっとヤバい躁状態なのでは…と思わなくもないが。


そうね、目先を変えて、ありふれた行動から幸せを得るようにしたらコスパ良さそう。
極端な例えだけど、今日は帰りに美味しい紅茶を買って帰れそうだから幸せだとか、今ここでネットできてるのってすごく幸せくらいな手軽でチープなの。

幸せというひとつの言葉を、この漠然とした言葉が指す何かを、人は大きな成果であるかのようにとらえがちだけど、幸せって曖昧だし、個人の価値観にゆだねられる部分も多いでしょ。

生きてるだけで幸せなんだぞ論もあるくらいなので、もう今推しと同じ空の下で息してて幸せー!まで行けるとかなりお手軽かもしれない。

子供のころに描いた夢や希望はどんどんすり減っていく。

あれもこれも手に入らない。

叶わないことばかりだ。

じゃあ、身の丈ほどの幸せってなんだ。

欲かかずに五割で満足するため、物は言いよう。

なんてさ。

うん。

そのうちに手を伸ばす気も起きなくなるし、次第に昔見た夢のようなものは消え失せるわけだ。諦めがしみついて「そういうもの」になっていく。諦めから始める小さな幸せ探しなんてがっかりするし切ないけれど、諦め以前、安易でチープなことでもあったかい幸せを得ることができるのは才能かもしれないよ。

だって、どんなことでも楽しいんだ。たのしいがその世界にはいっぱいあるんだよ?

すごいじゃないそれ。

とりあえず……っていうと乱暴だけれど、目の前の夢を叶えるようにすると、ちょっとずつ手が届くものが増えるかもしれないって思っておくのがいいかな。

それで、ちょうどいい心地よさのなかで楽しめたり幸せだと思えたら、大人とか子供とか関係なく自分であるという感じなので、そんな感じでいいんじゃないかなあ、と。

 

なんでこんなこと思うのかというと、推しのフォトブックお渡し会がやたらと楽しかったので、冷静になろうわたし的なやつですね。その時の自身の行動を反芻して楽しかったけれど、でも推しに申し訳なかったような、すべて謝りたいような気持ちになってしまうのでなんとかしたい…みたいな気持ちで衝動を書き散らしたわけだな。ほら、基本的にオタクって気持ち悪いじゃないですか。見た目じゃなくて、上に書いたようなマインド部分が……(そうじゃない人もいると思う…それはごめん)なので、そんなアレなキモオタおばちゃんが推しにわいててマジゴメンな!みたいなの。
という、わたしが不安定すぎてチラシの裏に連投だよ。

便利な言葉、不定愁訴

なお、当たり前だが、リアコではない。

ようしゃべくったわ。

 

長文書いて煙に巻く。
物は言いようとか、わからんね。
本日もおつかれさまでした。